そのやさしく高貴な不在は、あらゆる実在にもまして瑪耶の在り方を証拠だてるいちばんにうつくしい手段だ、と。
—三島由紀夫「苧菟と瑪耶」 より抜粋
いないからこそ逆にその存在を強く感じる。
こういう感覚大事にしたい。
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そのやさしく高貴な不在は、あらゆる実在にもまして瑪耶の在り方を証拠だてるいちばんにうつくしい手段だ、と。
—三島由紀夫「苧菟と瑪耶」 より抜粋
いないからこそ逆にその存在を強く感じる。
こういう感覚大事にしたい。
先週の土曜日、友達がリサイタルで何曲かピアノだけのソロを演奏したんだけどすごくよかった。 スタンダードを弾いていたからその点では完全な即興とは言えないけど、たった一人で真実と向き合っていくっていう過程はなんというか聴いていて、見ていて感動を覚える。
おなじフォーマットでも嘘で塗り固められた演奏は何も与えてくれない。
エゴや情けや偽りの優しさでだした音は結局本当の意味を持たない。
僕はジャズや即興音楽のaesthetics(美学)はどれだけ自分(もしくはそれ以上の存在)と向き合えるか、どれだけ世界の本質に近づけるかというところにあると思う。なのに違う所に価値を置いてしまっている人が本当に多いと思う。どれだけ有名なだれかみたいに演奏にできるかどうかっていうのはどうでもいい。一人の音楽家が成長の過程でそういう段階を経るのは悪い事ではないと思うけど。
そんな事を考えたあとにキースのダークインターバルズを聴いた。
本当のことしか弾いてない。
前の投稿にも書いた、三島由紀夫の潮騒という本を読み終えた。
最後ハッピーエンドでホッと胸をなで下ろしたのと同時に、もう2011年の現代ではこんな純粋で素朴な恋はありえないなと思ってしまった。悲しいけど。
違う形であるのかな。
いや携帯やなんかですぐに連絡が取れてしまう時点でやっぱりもうないか。
それがダメな訳じゃないけど、便利さの裏でなくしてしまったものはとても大きい。
とかなんとか言って最近ipod touchなんてハイテクなものを買ってしまった。
要はテクノロジーとどう付き合うか、です。
昨日はとても暖かくて春を通り越して初夏のようないい天気でした。
昼間に散歩に行ったら夜はぐっすり眠れました。
三島由紀夫の潮騒という本を読んでいます。
舞台が三重県の小さな島なので日本に帰ったら訪れてみたいです。
この本の前にヘミングウェイの老人と海という本を読みました。
よかったけど、日本の作家の作品を読むときより自分と作品との間に距離を感じました。
僕の中の勝手なイメージでいろんな場面を思い浮かべてもそれが本当に筆者の描きたかったものなのかわからない。
もちろん、言葉は曖昧だからそれは日本の作品、海外の作品問わずそうなんだけど、日本人の僕としては日本の作家の書いたものの方が、作者の表現したかったものにより近い所で理解できる気がする。うまくいえないけど。
もちろん、違うバックグラウンドを持つ人が同じ作品から違う印象を受けるのは当たり前だし、知らない事を想像で補う事で作品に広がりがうまれたりするのは、ときに筆者の望む所なのかもしれないけど。
冬に日本に帰らないのは久々です。
日本の実家の大掃除をしないのが不思議な感じですが、今日はルームメイトとお餅を買いにいこうかと思います。
googleで”総選挙”で検索してみるとAKB48総選挙が6番目にきて、本気で日本の未来が心配になりました。もちろんタイミング的なこともあるだろうけど。
“次回の総選挙”で検索するとAKBなんと2番目。日本大丈夫か。
別にAKB批判という訳ではないけど。
日本という国が外国の人達の受け入れや海外の文化に対してオープンになっていくのに対して反対はしないし、いい事だと思うけど、まずは日本人が自分達の文化や民族性をしっかり再確認しないと日本ってなくなっちゃうんじゃないかな。
こんなことをアメリカにいる自分が言うのも変だけど、日本を離れてみて、違う文化の中に住んで逆に見えた部分もあります。
お正月はそういう意味で日本の伝統的なものを再確認できるいい機会なのかなと思います。(と無理矢理つなげてみた。)日本で過ごせないのが寂しいです。
望郷の思いが強いのか昨日は中学校時代の夢をみました。
中三の合唱コンクールで僕はピアノ弾いてたんだけど、なぜかBjörkが現れて不思議なことになってました。