2018年

2018年最初の月もそろそろ終わりです。
気づいたらまた12月になってそうですが、充実した一年にしたいなぁと思っています。

さて、昨年発売になった小林桂さんのアルバム “ザ・スタンダードⅡ” の発売記念ツアーが月曜日から始まっています。
月曜日はビルボード大阪で演奏し、金曜にはブルーノート名古屋、日曜にはモーションブルー横浜で演奏します。

素晴らしいメンバーと各地で一緒に演奏させてもらえるのがとても嬉しく、今後の演奏もとても楽しみです!!!

ちょっと楽器の話を。

もうずっとシンバルは決まった組み合わせでいつも使っていたのですが、ここ最近は演奏する場所や人によって使うシンバルを変えています。人によってはスティックを替えたりブラシを変えたり、また違うものを使ったりする人もいますが(僕はブラシは二種類を使い分けたりしますが、スティックは基本的にいつも同じ5B)同じスティックで持ち方や叩き方で音色をコントロールするのが今は好きです。あ、シンバルの話だった。

ライドシンバルは特にジャズではドラムセットの中で一番大事な楽器だと僕は思っていて、自分の声みたいな存在です。
なので前までは「これこそが自分の声だ!」っていう一枚でずっと演奏してたんですが、最近は自分の声と呼べるシンバルが何枚かあってその中から日によって選んでいます。なので家を出る前にその日一緒に演奏する人の音や声を思い浮かべて、あの人にはこれが合いそうだなとか、この人はこれだな、とかそんな感じで決めています。

その予想が当たる時もあればハズレの時もあるのですが、思い浮かべてあれこれ考える時間が結構楽しいです。

今日はなんかシンバルがいい感じだなぁとか、なんかいまいちだなぁとか感じたらぜひ教えてください笑

hukaku

人間の結びつきは、行為の中に自分のすべてを没くした時にだけ可能なのだ。その時、世界は大きく拡がって、自分と他とは区別できないものになる

武満さんがこう書いていたのを最近知った。たぶん数十年前に書いているんだろう。

この何年間か、ずっとこの境地にたどり着きたいと思っているのです。

人と同じかどうか

一般的に人は他人と同じことをしたがるといわれる。
だいたいみんな流行りのモノを持ったり、流行りの音楽を聴いたり、みんなが美味しいというものを食べたり。

芸術家にはひとと同じが嫌いという人が多い。(芸術家に限らないと思うけども。。)
人の意見に対してまず否定から入る人にもたまに遭遇する。
それはパンクで別にいいんだけど。

でもよく考えたら、ひとと同じが良いというのも、ひとと同じが嫌というのも、どちらも同じくらいすごく幼い考えだと思う。
基準が他人になってる時点でそもそも違う。
僕は人と同じでも、違ってもどちらでもよい。というか、そんなことどうでもよい。

自分が好きなことや、かっこいいと思うものが結果的に他人と一緒なら別にいいし、逆に人と違ってもよい。というか違って当然だし。

人と違うことを、人とは違う意見を、人がやっていないことを、社会の一般常識とは違うことを、、
そういうのって「体制ありきの反体制」的な、なんの理想もないイデオロギーに似たものを感じるし、手段と目的が入れ替わってしまっている状態そのものだと思う。

大事なのは自分がどう思うか。

だから自分と向き合う時間がとても大切。