artless art

ボストン時代に大先生に勧められたzen in the art of archeryの日本語訳が出ているのを知ったので買ってみた。弓と禅というタイトル。
日本語で読んだ方がすっきりする部分と逆に英語のがしっくりくるところとある。(もとはドイツ語ということなのでどちらにしても翻訳版なのだが)

わかりやすく弓道を入り口として禅の思想を紐解いていくという、もとは西洋の人向けの本だから、禅の精神が生活に根付いている東洋人が改めて読む必要のない本だったのかもしれない。でも現代の、西洋化され、伝統は形式だけが残ったような社会に生きている僕たちは、当時の日本人からしたら西洋人みたいなものなんだろう。
ということで一読の価値ありかと。

改めて読んでみて思ったのは、以前よりも実感をもって読めたなぁということ。
あれからいろいろな経験を経て自分でもいろいろなことを考え、経験を通して理解し共感する部分もあったし、まだまだ解らない部分もあった。

映画とかもそうだけど、自分の成長とともに感じ方が変わるというのはとても面白い。

ところで”art”には「芸術」以外にもいろいろな意味がある。
weblioなんかからの引用で忍びないけど、、

art
【名詞】
A
1
a 芸術.
b [集合的に] 芸術作品.

2
a [しばしば複数形で] 美術.
b [集合的に] 美術作品.

3
a (何かをする)技巧,術,わざ; 熟練,腕.
b (専門の)技術,(特殊な)技芸.

4
a 人工,技巧.
b わざとらしさ,作為.

5
a ずるさ,狡猾(こうかつ).
b [通例複数形で] 術策,手管.

作為的なものに感動はない。

便利になると問われるのはモラル

電車に乗っていると、ゲームをしたり、ずっとなにかネットで見てたりする人の割合が非常に高い。
そんな人がエネルギーや電力に関してなにか強い考えを持っていないことを願う。
ましてやデモなんかに参加していないことを願う。(自家発電してるなら別にいいけど)
自分がエネルギーを無駄遣いしておいてそんな大それたことを口にすることの矛盾に気付いていないのは本当におかしい。

便利になるとそれをきちんと享受できる人がいる一方で堕落する人もたくさんいる。

制限がある中での自由だからこそいろんなことを律して生活できる。というのが多くの人だと思う。
まったく時間もお金も法律も制限がない無条件の自由の中で人間は平和に目的を持って暮らせるのかというと疑問に思ってしまう。悲しい事だけれど。

今自分たちが消費しているもの全てに限りがないとしたら、それでも節約して無駄遣いしないで生活できますか?

再生可能エネルギーなんかがもっと一般化して供給可能なエネルギーに制限がないという社会が、今のままの社会で人々の意識が低い中で実現したらすごく怖いことになるなぁと思って考えてみました。

人生だってはじまりがあっておわりがあるからこそしっかり「生きねば」と思うわけで。

気持ちの不思議

たぶん世界は毎日それほど変わってないのに
自分の気持ちの持ちようで
見えるものも聞こえるものも感じることも180°変わる

本当に不思議

先日たまたま見た番組で、刀根里衣さんというイタリア在住の絵本を描いている方のドキュメンタリーを見た。
なんだかよくわからないけどすーっと心に染み渡って感動した。

できないことをポジティブな力に変えられる人は強い!

紹介

僕がたまにチェックしているブログにこんな記事がアップされていました。
steve lacyの言葉だそうです。
ソースは不明だけどFBからの転載と書いてあります。

http://jonmccaslinjazzdrummer.blogspot.jp/2014/05/steve-lacys-words-of-wisdom.html

最近またイチローの言葉をまとめた本を読みました。

知らず知らず日常に追われて世界を限定してしまうからやはり人の言葉は大切だし、対立する意見もとても重要。