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250ページの論文を読み終えました。
長かったけど、いろいろ勉強になります。

前にも書いたけど日本のジャズミュージシャンがいかにして
アメリカの真似ではない「日本人のジャズ」というものを作ろうとして来たか。
でも筆者の立場はちょっと違って、日本人としてのアイデンティティを探す中で個人個人がよりクリエイティブ になりそれぞれのスタイルがうまれたという考えです。
だから彼的には「ジャズにおいては人種や国籍がどうこうというより、個人個人の経験や考え方のが大事だ」という事だと思います。
これには僕も大賛成です。

それから彼はウィントンマルサリスの流れに触発された90年代の日本のジャズ維新とよばれる動きが「ジャズは黒人のもので彼らが一番優れている」ということを暗に認めてしまった事で「図らずも約一世紀にわたる日本のジャズを正統化しようという努力を無駄にした」と批判的に書いてあります。

どうなんでしょうか。

批判を恐れずに書きますが、ジャズは黒人の音楽だと一概に言うのは僕は賛成しかねます。
というのもそこには西洋的な和声であったりネイティブアメリカンの影響もあります。
黒人の奴隷達が運んで来たものだけではジャズは成立していないと思います。

多様化したジャズのスタイルの中で、黒人”的”なものがあったり白人”的”なものがあったりアジア人”的”なものがあったりすると思いますが、その境界というのは絶対的なものではなくてその中をミュージシャンは自由に行き来できると思います。

カテゴリーというのは聴き手が分類する訳で、奏者は自らの信念に基づいて演奏しそれがどんなふうにカテゴライズされるかというのはどうでもいい事だと思います。そこにその個人らしさは必ずあると思います。誰かの真似をしようとしていない限り。

日本に帰ったら日本のジャズの歴史について書いた本をいろいろ読みあさってみようと思います。
 

日本のジャズの歴史。

先日書いた学校のカリキュラムの働きかけは先頭に立ってくれた二人とみんなのおかげでうまく作用してくれそうです。

具体的にはいままで 必須だった卒論の提出が選択になるというかたちになりそうです。
それにしても彼らのパワーはすごい。

今はその議論の発端となったともいえる授業の宿題で、日本のジャズミュージシャンがいかにして自分達の音楽が正統なジャズであるかを証明しようとしてきたかについて、Everett T. Atkinsという人が書いた論文を読んでいます。

いかにしてジャズが日本に伝わったか、どのような社会的、文化的背景のなかで育まれていったか、自分達のジャズが正統であるという事を証明する為に日本のミュージシャン達がどのようなアプローチをとってきたか、ということが1920年代から年代順に歴史的背景をふまえて書かれています。

とても興味深いです。

とてつもなく長いのと、実際に音楽的な分析がないのが不満ですが。

雪が降った。

朝とても大事な友達が日本へ帰国した。 JFKで見送ってNJへ戻る。

友人に勧められて最近はまっているSigur Rosを
駅から家までの道のりで
雪景色の中聴いたら
幸せだろうなと思って聴いてみたけど
雨と雪の間みたいなのが雪をとかして
道がべちゃべちゃで
あまり幸せにはなれなかった昨日。

今日は友人とうちでデュオセッションをした。
いい感じだった。

彼の演奏の無理をしない自然な感じがとても好き。

甲斐くんともさっきskypeで話したけど、演奏中に自然でリラックスしてるのって本当に難しいと思う。
リラックスしてるのと同時にそこにはインテンシティーがなければ音は誰の耳にも届かないんだけど。