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八月六日

広島原爆の日。
まず頭に思い浮かぶのはいつの年もこれ。
この夏、ツアーで広島に行って初めて原爆ドームに行ったけど、言葉では表せないなにかを感じた。世界のリーダーが勇気を持って、自分達から核を棄てて軍事力を縮小していくべきだと思う。そんなふうになったら僕はこの国にもっと長く留まりたいと思うかもしれない。
中高生が暑い日差しの中、核兵器をなくすための署名を集めている姿が忘れられない。

則武諒が2010年アメリカに帰った日。
せっかくセントレアー成田間を窓側の席にしてもらって外の景色を見ようと思ったのに、着席した10秒後には睡眠体勢に入り、次に見た景色は成田空港でした。
ニューヨークJFKに11時頃ついて、家についたの4時頃。ほんと今の家遠い。
最寄り駅から家も遠い。九月には引越します。そしたら反対に学校が遠くなるけど全然かまわない。楽しみ。

長いフライトの間の睡眠と睡眠の間に思ったのは、残りのあと1年、なるだけ感傷的にならずいつも前をむいてがんばってみようと言う事。でも自分に正直でいよう。

言葉は心を超えない

最後二日名古屋

昨日が日本での最後の演奏でした。

この夏は後半本当にたくさんたくさん演奏したけど

毎晩同じメンバーで演奏する事の難しさと、
その楽しさとか、

常に新鮮な気持ちで演奏に臨む事の難しさと、
その重要性とか、

何も持たない事の難しさと
それが演奏に与える影響力の強さとか

当日リハだけでやる演奏の難しさとか
適応力の早さの必要性とか

そういうことを考えました。

曲を覚える事の大切さとか
自分と人との意見のバランスとか
タイムキープの難しさとかも再認識しました。

共演者のみんな、聴きに来てくれた皆様、ほんとうにありがとう。

考え。

今日友達にあった。
彼女はピアノを引きながら先生もやってるけど、
やっぱり今の子達は弱いと言っていた。
精神的に。
それは、携帯やソーシャルネットワークと言ったものの弊害なんだろうな、
と僕は思う。常に誰かと繋がっていられるから精神的な強さが育たないのかな。

別の友達とこの夏に、僕らの世代は昔のものの良さと、ネットとか携帯とかそういう便利なものの良さと怖さみたいなものをどちらも理解している最後の世代なんじゃないかって言う話をした。
十代の多感な頃にポケベル、PHS、携帯とか、カセット、MD、MP3みたいな媒体の変遷を経験した最後の世代なのかも。

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問われて答えたのではなかった
そのことばは涙のように
わたしからこぼれた

辞書から択んだのではなかった
そのことばは笑いのように
私からはじけた

知らせるためではなかった
呼ぶためではなかった
歌うためでもなかった

ほんとうにこの私だったのだろうか
それをあなたに云ったのは
あの秋の道で
思いがけなく ただ一度
もうとりかえすすべもなく

「ことば」谷川俊太郎

今日は名古屋での今年最後の演奏

午前中免許の期限前の更新に行ったら、海外に行くことを証明?するためパスポートが必要だったみたいで僕は何もできず、結局母の免許書き換えにつきあっただけの形になりました。

たまにはこういう日もあっていいか。
帰りに食べたランチがめちゃおいしかった。

それにしてももう何回目かの期限前更新なのに、必要書類を忘れるとは。

昨夜は地元のみんなでのみにいったんだけど、

長いものバター焼きというメニューを見て、友達に長芋いいねって言われるまで、長いモノってどんなものだろうって本気でしばらく考えてしまった。

単語の間にスペースがない日本語は面白いなと思った昨夜でした。

光と影

自分を現在としたらどっちが過去でどっちが未来なんだろうって考えてみたけど答えが出なかった。