一般的に人は他人と同じことをしたがるといわれる。
だいたいみんな流行りのモノを持ったり、流行りの音楽を聴いたり、みんなが美味しいというものを食べたり。
芸術家にはひとと同じが嫌いという人が多い。(芸術家に限らないと思うけども。。)
人の意見に対してまず否定から入る人にもたまに遭遇する。
それはパンクで別にいいんだけど。
でもよく考えたら、ひとと同じが良いというのも、ひとと同じが嫌というのも、どちらも同じくらいすごく幼い考えだと思う。
基準が他人になってる時点でそもそも違う。
僕は人と同じでも、違ってもどちらでもよい。というか、そんなことどうでもよい。
自分が好きなことや、かっこいいと思うものが結果的に他人と一緒なら別にいいし、逆に人と違ってもよい。というか違って当然だし。
人と違うことを、人とは違う意見を、人がやっていないことを、社会の一般常識とは違うことを、、
そういうのって「体制ありきの反体制」的な、なんの理想もないイデオロギーに似たものを感じるし、手段と目的が入れ替わってしまっている状態そのものだと思う。
大事なのは自分がどう思うか。
だから自分と向き合う時間がとても大切。
人と差別化したり、同化したがるのはみんなきっと不安な部分があるからなんじゃないかな。
りょうくんはきっと強い人なんだと思う。自覚はなくとも。
わたしはどちらもあるけれど、おいしいものやいいなと思う音楽は誰かと共有したいし、共感したいな。
それは、また別の話?
人と共感できたら嬉しいのはぼくもそうだし、自然だと思う。
この投稿はどちらかというと、みんながいいというものにはとりあえず反対みたいな人に対して、もっと力抜いてもいいのに〜っていう気持ちで書いたよ。